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2012年6月27日
日本列島強靭化のために公共事業の意義を問い直す~京大・藤井聡教授インタビュー(1)

 

 長らく日本のインフラを支えてきた公共事業だが、経済が不景気になるにつれて「ムダなもの」の象徴として扱われるようになってきた。そうしたなか、景気浮揚策としての公共事業の意義を問い直す言論活動で注目されている京都大学大学院の藤井聡教授に、そもそも現在の建設業が斜陽化してしまった根源について語ってもらった。(聞き手:建設情報事業部 近藤 将勝)

<日本人のおぞましさ(前)>
 ――藤井さんが著された『公共事業が日本を救う』が大きな反響を呼んでいます。藤井さんは著書のなかで、公共事業は日本経済の大きなカギを握っているということを軸に論を展開されていますが、なぜこのような考えに至ったのかお聞かせください。

fujii_1.jpg 藤井 まず今の日本の公共事業の状況は異常ですね。常ではない。まっとうな国の常識から著しく乖離しています。公共事業というのは、不要だけれども誰かの飯を食わせるためにあるというわけではなく、歴史のなかで必要とされてきたから建設業の人たちが生まれてきたわけです。つまり、建設業があったから需要が生まれたわけではなく、建設需要があったから建設業ができたのです。

 行政のなかにも土木のセクションがありますが、無理やり建設業の人たちに飯を食わせるためにできたわけではなくて、世の中で道路がほしい、港がほしいという人たちがいるからできたわけです。ただ、これはプロジェクトの規模が大きいですから、一民間企業だけでできるものではありません。だから、建設需要というのは必然的に公共事業を含んでくるわけですが、必要性があったから行政のなかにも土木ができてきたわけです。

 それが当たり前の状態で、日本も昭和までは当たり前の国でした。建設業が斜陽化するわけでも叩かれるわけでもなかったのは、日本が異常ではなく普通の国だったからです。しかし、今の日本は「狂って」います。建設需要がしぼんできたから建設業界が傾いてきたという人もいますが、そうではありません。震災復興、インフラ老朽化、巨大地震対策はじめ、必要な事業が目白押しです。でも公共事業は削られている。これは必要性が低くなったからではなく、公共事業を「叩いてきた」からそうなったのです。つまり、そもそも需要はあるのに、バッシングしたい人間がいて、彼等がバッシングするから需要が抑制されてきただけなのです。

 これはいわば「社会病理的な現象」です。その病理が各国においても無くはないのですが、日本においてはとくにきつい。日本人の醜さをコンデンス(凝縮)したものが、こうしたところに現れています。いわば公共事業を叩くというのは、日本人のさもしさ、おぞましさの結実だと思います。私が『公共事業が日本を救う』という本を出したり、一部メディアの「逆叩き」をやったりしているのは、公共事業を擁護したいからというよりむしろ、そうした日本人のおぞましさ、さもしさが許せないというのが根本感情だと言えるように思います。

(つづく)
【大根田 康介】

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<プロフィール>
fujii_p.jpg藤井 聡(ふじい・さとし)
1968年奈良県生まれ。京都大学大学院工学研究科教授。11年より京都大学レジリエンス研究ユニット長。専門は「公共政策に関わる実践的人文社会科学全般」。表現者塾(発言者塾)出身。計量経済学研究について98年土木学会論文奨励賞、行動的意思決定研究について05年日本行動計量学会林知己夫賞、村上春樹文芸評論について06年「表現者」奨励賞、実践的社会科学研究について03年土木学会論文賞、07年文部科学大臣表彰・若手科学者賞、09年日本学術振興会賞、進化心理学研究について09年日本社会心理学会奨励論文賞等、受賞多数。著書に『社会的ジレンマの処方箋:都市・交通・環境問題のための心理学』『土木計画学』『なぜ正直者は得をするのか』『公共事業が日本を救う』『列島強靭化論』『救国のレジリエンス』などがある。

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